2013年7月12日金曜日

ブクログyorisan より、本の紹介です。



それでも、読書をやめない理由

デヴィッド・L.ユーリン David L. Ulin 井上 里


 / 柏書房 / 2012年02月 発売

それでも、読書をやめない理由

デヴィッド・L.ユーリン David L. Ulin 井上 里


 / 柏書房 / 2012年02月 発売

 IT技術の拡がりのなか、読書という個別的で内省的な行為はなくなってしまうのだろうか。そんな危惧を抱いている人々に読んでもらいたい本です。アメリカのコラムニストの書いた読書論として、若い世代の子供たちとやりとりしながら、読書という行為について考察する点が面白かったです。
 私自身、メールだSNSだと、ついいじってしまい、本に向き合い、集中するということが、そういえば最近なくなっていました。「スピードこそがわたしたちを事実の解明へ導き、深く考えることより瞬時に反応することのほうが重要で、わずかな時間も無為に過ごしてはいけない、と。そこに、わたしたちの抱える読書の問題が端的に表れている。なぜなら、本を読むには、それとはまったく逆の姿勢が必要だから。余裕を持って深くのめりこむ姿勢こそ大切なのだ。」(46頁)と述べられています。読書とは一見すると無意味だったり、時間がかかったりするからと敬遠されがちですが、そうした点こそが読書の本質でもあるということでしょう。
 読書がスピード第一の現代では困難であるのだが、それでもじっくり時間をかけて深く考えるという体験はなくしたくないという著者の主張に賛同いたします。とはいえ、ではどうしたらいいかという方策を示しているわけではありません。それは読者ひとりひとりがそれこそゆっくりと考えていくことなのでしょう。というのも、私はそれこそが「文学」のあり方だと思うからです。
 読書って、かけがえのない体験だったのかもしれないと、読み終えたとき、思わせてくれます。ある意味ではスピード感なしにはやっていけない現代において、読書の意味を改めて考え直してみるにはいい本だと思います。
http://booklog.jp/users/yorisan/archives/1/4760140840

それでも、読書をやめない理由 デヴィッド・L.ユーリン David L. Ulin 井上 里 本 / 柏書房 / 2012年02月 発売

2013年6月6日木曜日

2013年5月30日木曜日

2013年1月9日水曜日

世界に紹介したい本


「世界に紹介したい本」を3冊を選びました。


1.寺田寅彦『柿の種』 岩波書店、1996年 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/1684_11274.html 文人科学者・寺田寅彦が俳誌『渋柿』に連載した短章を集めた作品。科学的方法と日本的感性の絶妙な味わい。俳句のように、短い文章から世界が豊かに広がっていきます。

2.谷崎潤一郎『陰影礼讃』中央公論社、1995年 http://opac.lib.tokushimau.ac.jp/mylimedio/search/book.do;jsessionid=1f604a7afd366609bccc39c19963?nqid=1&mode=simp&database=local&searchTarget=BK&queryid=1&position=1&bibid=973681&detailCategory=book 日本を代表する小説家のエッセイ。日本の美は陰影の中において初めて立ち現われてくるという。「目からうろこ」の名エッセイ。節電の時期に再評価されたことも記憶に新しい。

3.アレックス・カー『美しい日本の残像』朝日新聞出版、2000年 アメリカの日本研究家アレックス・カーは、徳島の祖谷に自分の探し求めていた「お城」を見つける。開発で失われて行く日本の美を、ここにかろうじて見出せたのだ。外国人のみた絶好の日本論であり、かつまた四国・徳島を世界に発信する作品でもある。


2012年12月21日金曜日

ビブリオバトル初挑戦


 授業で学生達と一緒に「ビブリオバトル」をやりました。5分間本のプレゼンをして、2分間質疑、最後に参加者間で投票して優勝者をきめるというルールでした。
 「人を通して本を知り、本を通して人を知る」というのが、コンセプトだそうです。ビブリオバトル、いいですね!緊張感がありながら、楽しい。読書を通していいコミュニティが作れるのでは。どんどん広げていきましょう!
 私はブラッドベリを取り上げました。以下私のプレゼンの草稿です。



ブラッドベリ『華氏451度』(ハヤカワ文庫)
                                

この世から本がなくなったら、どうなるだろう?本屋や図書館から一冊も本がなくなり、学校でも書物など誰も開かない。書物を手にしているのを目撃されると逮捕されるなんてことになったら…。私のような活字中毒人間には、つらい時代なるだろう。だが、はたして本嫌いな人間にとって、幸せといえるだろうか?読むなと言われたら読みたくなるのが人情では。書物との関係は男女の関係のようだ。いつもそばにいると思うとうんざりするが、そのありがたみは、いなくなって初めてわかるものなのかもしれない。
ここに紹介するのは、書物が禁じられた、とある未来社会を描くというとびっきりのアイデアの作品である。焚書係モンターグは本を焼く仕事をこなしていた。書物が燃えるときの温度が「華氏451度」だ。そんな彼はある日、壁のテレビの「家族」と不毛な生活を送る妻や知りあいとのつきあいにうんざりし始める。やがて彼は、処分するはずの本をこっそり持ち出し、事件を引き起こしてしまう。彼に力になってくれた老人フェイバーが、彼に書物の意味を教えていたのである。彼は「なぜ書物は重要であるか、その理由をご存じかな?そこには、ものの本質がしめされておるのです。(中略)ものの本質(核心)を封じ込めていて、それをのぞかせる「気孔」が書物のうちにはある」、と語る。
だが、現代では、こうした書物の意味が見えなくなっている。短くダイジェスト的に、どこまでも単純化され、情報となってしまう。忙しさや情報過多の社会の流れが読書のあり方を変え、その意義を見失わせている。
皮肉なことに、書物の「本質」を知り、それを最も恐れたのは、いつの世でも支配者たちだった。「すべての問題には、ふたつの面があることを教えてはならん。ひとつだけあたえておくのが要領なのさ。」と本書では皮肉っぽく言われているが、私たちのこの社会にだって、そんな風にものの「核心」を隠し、人びとを管理しようとする政治家たちには、事欠かないのではないだろうか。
だが、一抹の希望はある。焚書係だった主人公のモンターグは読書の意味を知り、逃亡するが、やがて老人たちのコミュニティーに迎えられる。彼らはたき火を囲み本のことを語り合っている。モンターグは「火が奪うだけでなく、あたえることもできるとは!」と、そこで「火」が持つもう一つの意義に気づくことになる。この小説の最後の、孤独な世界で仲間たちとともに読書という「たき火」に手をかざして語らうシーンは、本当に美しい。
殺伐とした時代だからこそ、この世の中に読書を通して心の底で通じあえる場があるということは大切だ。心に火をつけてくれるであろう書物を、まずは手に取ろうではないか。そうすれば、この寒々した社会もほんの少し温かくなることだろう。
作者のアメリカのSF作家レイ・ブラッドベリは今年2012年に亡くなった。書物を愛し、書物の仲間たちの存在を信じ続けた作家だった。死後、本屋ではブラッドベリ追悼の書籍フェアが開かれ、改めて世界で愛された作家だったのだと実感した。彼もまた、ここでいう書物同様、いなくなって初めてありがたみのわかる作家の一人だったのだ。

2012年11月18日日曜日

国民文化祭のイベントに参加します。時間のある方、間際になりましたが、ぜひお越しください。

本日11月18日(日)13時半より15時半まで、文化の森の21世紀イベントホールです。「あわ文化をどう発掘し、いかに発信するか!」というシンポジウムで、林啓介氏の司会で、鳴門教育大の高橋啓先生と四国大の佐々木義浩先生とともに話します。